中二病速報

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    1: 名無しさん@1周年 2021/01/13(水) 15:29:44.23
    ドラマ「天までとどけ」シリーズなどで知られている俳優の綿引勝彦(わたびき・かつひこ)さんが昨年12月30日にすい臓がんのため亡くなっていたことが13日、分かった。75歳。代表を務める「綿帽子」が発表した。

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    https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2021/01/13/kiji/20210113s00041000276000c.html

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    1: 名無しさん@恐縮です 2021/01/11(月) 07:08:34.96
    田村隆氏が死去 料理人

    田村 隆氏(たむら・たかし=料理人)2020年12月22日、急性心不全のため死去、63歳。告別式は近親者で行った。喪主は妻、文子さん。

    東京・築地の日本料理店「つきぢ田村」の3代目。NHKの料理番組「きょうの料理」などで活躍し、和食文化の伝承と普及に努めた。料理本のほか料理にまつわるエッセーも手掛け、「隠し包丁」「日本料理の基本」などの著書がある。〔共同〕

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    https://www.nikkei.com/article/DGXZQODG1014F0Q1A110C2000000

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    1: 名無しさん@恐縮です 2020/12/28(月) 17:55:08.41 _USER9
     NHK「おかあさんといっしょ」で08年3月まで5年間“10代目うたのおにいさん”を務めた歌手で俳優の今井ゆうぞうさんが21日、脳内出血のため亡くなった。関係者がデイリースポーツの取材に対し、事実を認めた。

     関係者によると、今井さんは今月6日に徳島でクリスマスコンサート行ったが、その最中に意識を失って倒れ、救急搬送されていた。死亡との因果関係は不明。その後、最後の投稿となった15日のブログでは、目(結膜)が真っ赤になり、「免疫力が落ちている」など、体調の異変を訴え、病院に行くことを記していた。

     同じ徳島出身のシンガーソングライター・KEiは27日、自身のツイッターで今井さんが21日に脳内出血で亡くなったことを公表。葬儀は身内だけで営まれたそうで、「ご遺族に代わりまして、僕からご報告させていただく事をお許し下さい」と記した。

     今井さんは亡くなる6日前の12月15日、ブログで体調の異変を明かしており、これが最後の投稿となった。

     「感謝の気持ちでいっぱいです」と題した投稿で、「先週から。。。グールみたい、、、」と目の白い部分(結膜)が赤くなった写真を公開。「病院にかかるのは、いつも怖くなるけど早めに行かなきゃね!!目の注射とか嫌だし。」「免疫力が落ちているのが自分でも分かる、、、肌荒れも。。。こういう時期だからこそ!!ねっ!」と目の異変と、「免疫力」の低下、そして肌荒れの症状が出ていることを明かし、病院に行くことを伝えていた。

     そして「この2ヶ月は更新減らします。いつもありがとう」とつづったのが、最後のメッセージとなってしまった。

    デイリー
    https://news.yahoo.co.jp/articles/92cd48e46d5321ad98c90d23c90196bd0cb35310
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    1: 名無しさん@1周年 2020/12/27(日) 20:38:53.55
    立憲民主党の羽田雄一郎参議院議員が27日に亡くなったことが分かりました。53歳でした。羽田氏は、民主党政権で国土交通大臣などを務め、父は故羽田孜元総理大臣です。

    https://news.yahoo.co.jp/articles/eb59600fbe204345402cc0bf76b65cdc8395c01d

    文字ソースは後ほど追加
    https://www.shinmai.co.jp/pdf/docs/2020122701.pdf

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    1: 名無しさん@恐縮です 2020/12/25(金) 04:59:46.86 _USER9
    「北酒場」「石狩挽歌」など数多くのヒット曲を手掛けた日本歌謡界を代表する作詞家で直木賞作家のなかにし礼(なかにし・れい、本名中西禮三=なかにし・れいぞう)さんが24日、東京都内の病院で死去した。82歳。死因は明らかにされていないが、1カ月ほど前に持病の心疾患で入院していた。10月に作曲家の筒美京平さん(享年80)が他界したことに続く、衝撃的な悲報。日本の音楽界はまた一人、大きな星を失った。

     数々のヒット曲を作詞した昭和を代表するヒットメーカーで、映画やオペラの製作でも活躍。時の政権を厳しく批判する辛口のテレビコメンテーターとしても、お茶の間に愛された人だった。

     関係者によると、1カ月ほど前に持病の心臓病が悪化。都内の病院に入院していた。

     波瀾(はらん)万丈のなかにしさんの人生で、この10年は病気との闘い。2012年に食道がんを克服し、3年後に再発するも、それも克服。心臓病は92年からの持病で、16年に除細動器とペースメーカーを埋め込み、劇的に改善していただけに周囲のショックは大きい。

     68年の黛ジュン「天使の誘惑」、70年菅原洋一「今日でお別れ」、82年細川たかし「北酒場」で日本レコード大賞を3度受賞。00年には「長崎ぶらぶら節」で直木賞を受賞。翌年、満州からの引き揚げ体験を描いた「赤い月」は100万部近いベストセラーとなり、戯曲を含めた旺盛な執筆活動とマルチな活躍からスーパー作詞家と呼ばれた。

     大学時代にシャンソンの訳詞を手掛けたのを機に作詞を始め、63年に当時の大スター、石原裕次郎さんから声を掛けられたのが歌謡界に進むきっかけとなった。

     65年に発表した菅原洋一「知りたくないの」が最初のヒット。その後、ザ・ピーナッツ、ザ・タイガースらスター歌手の曲をはじめ、昭和の歌謡曲全盛時代を支えた。

     手掛けた作品は4000曲。それまで流行歌も軍歌も「七五調」が主流だった中、「自分は絶対に七五調は使わない」というのが作詞の鉄則。「破調のリズムで日本人の心を動かしたい」という思いは、旧満州で祖国に捨てられた戦争体験が根底にあった。

     執筆活動のもう一つの原点が幼少期からの赤貧体験。破滅的な兄への複雑な思いと原体験を歌にしたのが、75年の北原ミレイ「石狩挽歌」(作曲浜圭介)。

     ♪ごめがなくから にしんがくると あかいつっぽのやんしゅがさわぐ――。

     兄が大金をつぎ込み失敗したニシン漁の情景を描き、その重い世界観は歌謡曲ファンを圧倒。そんな兄との葛藤を描いたのが最初の直木賞候補作「兄弟」だった。

     あらゆる作品に通ずるのが「反戦」への思い。何度も死線をさまよいながらも、とどまらない創作意欲について、4年前のスポニチ本紙のインタビューでも「戦争体験をしっかり残したいんだ」と熱く語っていた。

     ◆なかにし 礼(なかにし・れい、本名中西禮三=なかにし・れいぞう)1938年(昭13)9月2日生まれ、旧満州(現中国東北部)出身。91年に映画「動天」の製作を指揮。93年には神奈川・鎌倉芸術館の開館記念作としてオペラ「静と義経」を制作した。同作は昨年、26年の時を経て再演された。また、01年から14年間、テレビ朝日「ワイド!スクランブル」のコメンテーターを務め、お茶の間にもよく知られた存在だった。

    スポニチ
    https://news.yahoo.co.jp/articles/e8b4ae3facfb0f60c2f16a080c8bf661f2630a13 



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    1: 名無しさん@恐縮です 2020/12/24(木) 14:08:37.02 _USER9 BE:592079644-2BP(0)
     楽曲「喝采」「北酒場」で日本レコード大賞を受賞した、作詞作曲家で歌手の中村泰士さんが20日午後11時50分、肝臓がんのため死去した。81歳。本人の遺志により、コロナ禍において葬儀は身内のみにて大阪市内の寺院で執り行われた。

     中村さんは1939年5月21日生まれ、奈良県出身。歌手としてデビューした後、1968年に佐川満男の「今は幸せかい」で作曲家デビュー。ちあきなおみ「喝采」、細川たかし「北酒場」「心のこり」、桜田淳子「わたしの青い鳥」、いしだあゆみ「砂漠のような東京で」など、数多くの作品を手掛けた。

    中村泰士さん (C)ORICON NewS inc. 
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    オリコン 
    https://news.yahoo.co.jp/articles/0eb3cfba4153ce42b4ad40c3e423736d3972f476

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    1: 名無しさん@恐縮です 2020/12/21(月) 15:01:32.81 _USER9
     日テレ系「笑点」の解答者として知られる落語家の林家こん平(本名・笠井光男)さんが17日に死去した。77歳。葬儀・告別式は19日に近親者で済ませた。2005年7月に、難病の「多発性硬化症(MS)」であることを公表。一線からは退いたものの、一門の落語会や落語家仲間による卓球サークル「らくご卓球クラブ」では元気な姿を見せていた。最後まで再び高座に上がることを夢見ていたが、その願いはかなわなかった。

     あふれんばかりの笑みで「1、2、3、チャラ~ン」と、ファンと共に声を合わせるこん平さんの姿を、もう見ることはできない。

     6人兄弟の末っ子として生まれ、中学卒業と同時に上京して初代林家三平の弟子となったこん平さんが、全国区の人気を得たのが、66年から出演を始めた日テレ系「笑点」だった。自らの出身地である新潟県千谷沢村(現在の長岡市)を「チャーザー村」と呼び、地元ネタで観客を沸かせた。「チャラ~ン」も、元々は同番組での自己紹介の締めから始まったものだった。

     40年近く日曜のお茶の間を楽しませてきたこん平さんに、突然のアクシデントが襲ったのは、2004年8月。当初は、のどの使い過ぎが原因で、声帯に小さな固い突起物ができる「声帯結節」と診断された。1か月ほど入院して安静にすれば治るとされ、早期復帰が見込まれていたが、なかなか体調が回復しなかった。

     05年に判明した病名は「多発性硬化症」。厚生労働省が特定疾患に指定しており、脳や脊髄に炎症が起きる難病。こん平さんも、噺(はなし)家の命である“言葉”が不自由になり、高座に上がるのをあきらめざるを得なくなった。

     それでも、トレードマークである笑顔が消えることはなかった。趣味が高じて87年に三遊亭小遊三と結成した「らくご卓球クラブ」の練習には積極的に顔を出し、リハビリにも取り入れていた。09年12月には、東京・池袋演芸場で5年7か月ぶりに定席(通年落語が聞ける場所)へ“復帰”。10年3月の自著の発売記念会見では「今でも復帰を目指している?」と聞かれ「ハイ、そうです」と元気よく答えていた。

     再びファンの前で落語を披露するのはかなわなかったが、天国で09年11月に亡くなった5代目三遊亭円楽さんと「大喜利」をしているに違いない。

     ◆林家 こん平(はやしや・こんぺい)本名・笠井光男。1943年3月12日、新潟県生まれ。中学卒業後に上京し、初代林家三平に入門。62年11月、二つ目昇進。66年5月から日テレ系「笑点」のメンバーに。72年9月、真打ち昇進。80年、初代三平の死去後は一門を引き継ぐ。2004年9月、「笑点」を降板。05年7月、多発性硬化症(MS)であることを公表。

    報知新聞社
    https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20201221-12210086-sph-ent 

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