中二病速報

    タグ:訃報

    1: サイカイへのショートカット ★ 2018/04/24(火) 13:36:23.83 _USER9
    “鉄人”衣笠祥雄氏が大腸がん死去、19日まで仕事

    衣笠祥雄氏(1986年撮影)
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    元広島の衣笠祥雄氏が死去した。死因は大腸がん。71歳だった。

    2215試合フルイニング出場の記録を持ち「鉄人」として親しまれた。87年にはプロ野球界2人目となる国民栄誉賞も受賞した。19日に横浜スタジアムで行われたDeNA-巨人でTBSの解説を務めたのが、公の場に姿を現した最後になってしまった。

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     日刊スポーツ 
    https://www.nikkansports.com/baseball/news/201804240000356.html 

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    1: すらいむ ★ 2018/04/09(月) 16:51:28.65 _USER9
    落語家の月亭可朝さん死去

     カンカン帽姿での弾き語りが人気だった落語家でタレントの月亭可朝さんが3月28日午前3時28分、急性肺線維症のため兵庫県の病院で死去した。80歳。神奈川県出身。

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    共同通信社 
    https://this.kiji.is/355983051446289505

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    1: 湛然 ★ 2018/04/06(金) 07:17:51.10 _USER9
    宮崎駿監督(77)と並ぶ日本アニメーション界の巨匠で、ジブリ映画「火垂るの墓」「平成狸合戦ぽんぽこ」などを監督した高畑勲氏が5日、東京都内の病院で死去した。82歳だった。

     関係者によると、高畑監督は昨年の夏頃に体調を崩し、その後入退院を繰り返していた。心臓が悪かったという情報もある。

     昨年11月に高畑監督に会った別の関係者によると、以前よりも痩せていて、歩く時は体を支えられていたという。
    この関係者は「子供のような好奇心でキラキラした表情が印象的な人だが、元気がなく、全く違った人みたいだった」と話した。通夜、葬儀は近日中に営まれる。

     高畑監督は東大卒業後の1959年に入社した東映動画(現・東映アニメーション)で宮崎監督と出会い、アニメ制作会社をともに移籍しながら、
    70年代にはテレビアニメ「アルプスの少女ハイジ」「赤毛のアン」などを生み出した。
    85年に宮崎監督らとスタジオジブリを設立。「火垂るの墓」「ホーホケキョ となりの山田くん」などヒット作を次々と送り出した。
    人気は世界に広がり、2015年にはフランス芸術文化勲章のオフィシエを受章している。

     徹底した取材によるリアルで自然な世界観に加え、「想像力が羽ばたく余地が生まれてこそアニメ」がモットー。
    こだわりが強く遅筆で、宮崎監督が「ナマケモノの子孫」と呼んだことも。「柳川堀割物語」は製作費を大幅にオーバーして話題になった。

     愛称は「パクさん」。食パンが好きで、東映時代にパクパク食べていたことから、宮崎監督やジブリの鈴木敏夫プロデューサー(69)が親しみを込めて呼んだ。

     アニメ作りの情熱や姿勢は宮崎監督を始め、後進のアニメ関係者にも大きな影響を与えた。

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    https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180406-00000503-sanspo-ent 


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    1: 江戸領内小仏蘭西藩 ★ 2018/04/03(火) 12:22:46.06 _USER9
    STVラジオ「ウィークエンドバラエティ 日高晤郎ショー」(毎週土曜8時放送)パーソナリティ 日高 晤郎(ひだか ごろう)さんが病気療養中のところ悪性腫瘍(脂肪肉腫)により4月3日 午前10時48分 永眠いたしました。享年74歳でした。
    心から哀悼の意を表しますとともに、生前に賜りましたご厚誼に感謝し、謹んでお知らせ申し上げます。

     日高晤郎さんは1978年34歳の時にSTVラジオの番組を担当して以来、40年間に渡ってSTVラジオの看板パーソナリティとして活躍されてきました。1983年39歳の時にスタートした「ウィークエンドバラエティ日高晤郎ショー」では歯に衣着せぬ語り口が人気を呼び、以来35年間に渡って毎週9時間の生放送を続けてこられました。

     今年に入ってから悪性腫瘍(脂肪肉腫)が見つかり、通院をしていましたが、本人の強い意思により、先月までステージの司会進行、番組出演などを精一杯こなしてこられました。しかし、今朝から容態が急変し、今日午前、帰らぬ人となりました。

    株式会社STVラジオ

    http://www.stv.jp/radio/info/press/20180403.html 

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    1: 湛然 ★ 2018/03/18(日) 05:07:47.61 _USER9
    名探偵・浅見光彦シリーズで知られる人気作家、内田康夫(うちだ・やすお)さんが13日、敗血症のため東京都内で死去した。83歳。葬儀は近親者で営んだ。お別れの会は行わず、3月23日~4月23日、長野県軽井沢町の浅見光彦記念館に献花台が設けられる。喪主は妻で作家の早坂真紀(はやさか・まき、本名・内田由美=うちだ・ゆみ)さん。

     東京都北区出身。東洋大中退。テレビCM制作会社を経営していた1980年、自費出版したミステリー「死者の木霊」が編集者、評論家らの注目を浴びて作家デビューした。3作目「後鳥羽伝説殺人事件」(82年)で浅見光彦が初登場。「天河伝説殺人事件」(88年)「氷雪の殺人」(99年)など、警察庁刑事局長を兄に持つルポライターで年を取らない永遠の33歳、愛車ソアラを転がして全国各地で起きる事件の謎を解くキャラクターが愛された。「孤道」(未完・2017年)までシリーズ114冊、累計発行部数9700万部という人気を獲得。相次いでテレビドラマ化された。

    (以下略、全文はソースをご覧ください。)

    作家の内田康夫さん=2014年、竹内紀臣撮影
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     毎日新聞 
    https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180318-00000001-mai-soci

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    1: シャチ ★ 2018/03/07(水) 12:19:29.87 _USER9
     歌手・北島三郎の次男で元ミュージシャンの大野誠さんが亡くなったことが7日、分かった。北島の所属事務所がデイリースポーツの取材に対し、亡くなったことは「事実」と認めた。事務所は詳細については「まだ分からない」としている。

     大野さんの死去を報じたフジテレビ系「FNNスピーク」では、大野さんは調布市の自宅で衣服を着たまま倒れているところを発見され、すでに死亡。死後1週間程度経過していたと報じ、病死とみられると報じた。

     大野さんは北島音楽出版の役員でミュージシャンとしても活動していた。

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    デイリー
    https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180307-00000048-dal-ent

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    1: 湛然 ★ 2018/02/25(日) 04:37:23.67 _USER9
    左とん平さん死去 80歳「時間ですよ」「寺内貫太郎一家」などで名脇役

     1970年代の大ヒットドラマ「時間ですよ」や「寺内貫太郎一家」で人気を博し、名バイプレーヤーとして知られた俳優の左とん平(ひだり・とんぺい、本名肥田木通弘=ひだき・みちひろ)さんが24日午後3時、心不全のため都内の病院で死去した。80歳。東京都出身。葬儀・告別式は近親者で行う。左さんは昨年、急性心筋梗塞で倒れ、闘病を続けていた。

     復帰の夢はかなえられなかった。希代の名バイプレーヤーは家族にみとられながら旅立った。昨年6月、ミュージカルの舞台を直前に控えていた左さんは、自宅で胸の痛みを訴えて救急搬送され、急性心筋梗塞の緊急手術を受けた。手術後には誤嚥(ごえん)性肺炎を起こし、酸素呼吸器をつけながら闘病を続けていた。

     10月ごろには呼吸器を外し、自発呼吸できるまでに回復。関係者も「筋力を戻すためにリハビリが必要で入院している。良い方向に向かっている」と語っていたが、願いは届かなかった。親しい知人らは「後日、お別れの会ができれば」と話している。

     左さんは愛嬌(あいきょう)のある表情と、とぼけた味わいのある演技がお茶の間で愛された。舞台関係者は「チャーミングな人で誰からも慕われた。病気でミュージカルや全国巡業の舞台を降板したことが心残りだっただろう」と語った。

     1957年に同級生と劇団を結成。芸名の「左」は本名の「肥田木(ひだき)」からとったもの。20代の頃は10年ほど新宿コマ劇場で修業。先輩役者の芝居を見て学び、喜劇役者としてのキャリアを積んでザ・ドリフターズのコメディー映画にも出演した。70年代にはTBSの「時間ですよ」、「寺内貫太郎一家」、「ムー一族」などさまざまなドラマでお茶の間の人気者に。86年にスタートした日本テレビ「女監察医 室生亜季子」では刑事役を熱演し、20年以上続く人気シリーズとなった。映画でも、カンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞した「楢山節考」(83年)や「吉原炎上」(87年)などに出演した。

     私生活では賭博事件で3度逮捕されるなど波瀾(はらん)万丈。助けてくれたのは仲間たち。小林桂樹さんは自宅に来て「これが犯罪者の家か」と笑い飛ばし、憧れの森繁久弥さんや「お母さん」と慕った森光子さんは「左とん平を叱(しか)る会」を開いて叱咤(しった)激励した。

     さまざまな役柄を演じた左さん。役者人生の長くを脇役で過ごしてきたが、その存在感は主役に勝るものだった。

     ◆左 とん平(ひだり・とんぺい、本名肥田木通弘=ひだき・みちひろ)1937年(昭12)5月30日、東京都生まれ。高校卒業後、実家の寿司店で働いていた時に友人に誘われて俳優活動を始めた。57年には三木鶏郎さんの「冗談工房」に参加。人気ドラマ「時間ですよ」などで注目を集め、「銭形平次」や「鬼平犯科帳」など時代劇でも名脇役として活躍した。

    死去した左とん平さん
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    スポニチアネックス 
    https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180225-00000000-spnannex-ent

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